連絡通路から臨む街並みに視線を落とす。渋谷の街はいつも以上に賑やかしい。
あちこちにぶら下がったカボチャや幽霊のモニュメント。通りを跋扈する仮装した人々は、俺に今日がハロウィン当日であったことを思い出させる。
ほんの数か月前までは怪盗団のテーマカラーが目に付いたというのに、そんなことなど初めからなかったかのように、いまや街のどこにもあの赤と黒の配色は見られない。
俺は乱痴気騒ぎの街を見送って、乗り換え通路を足早に通り過ぎた。十眞とのすれ違いの日々が始まって、もうすぐ一週間ほどになる。時間を見つけては彼の家を訪れてみてはいるのだが、その度に俺を迎えるのは無人の部屋だけだった。今もその帰りだ。ここまで不運が重なることがあるだろうか。多分、彼はいま自宅にほとんど帰っていない。俺を避けてのことか。それとも……。
他に縋れる先もなく、俺はスマホ画面を無意味に開いてしまう。彼とのやり取り自体はチャット上で何度か交わされていた。「大事ないか」と問えばひとまず返答はかえってくる。
そんな電子上の会話でも、メッセージを送るたびに俺は祈るように返信を待ちわびた。いまはこれが数少ない彼の生存確認だった。
正直なところ、大手を振って会える立場でもない。怪盗団の指名手配により、俺たちの世間からの評価は決定的なものになった。奥村氏の死。黒い仮面の人物。精神暴走事件。何かの作為が働いているのは確かなのに、それを掴むことができずただ気は焦る。
「よ、お疲れ」
悶々と歩みを進めていると、前方からやってきた竜司がこちらに気付いて手を振った。彼を含む怪盗団メンバーとはこの後ルブランで落ち合う予定になっていた。目的地が同じならこうして鉢会わせることもあるだろう。こちらからも必要最低限のあいさつをして、同じ方向へ歩みを進める。
「今年もやべーなー、渋谷ハロウィン」
と、竜司はいつもの調子で軽口を言った。しかしせっかく切り出した話題はその後どこにも着地せず霧散していく。いつも通りを装おうとしても、結局彼にだって世の中のイベントごとなどに関心を割く余裕はないのだ。
目下の最優先事項であるパレス攻略。それとは別に、俺たちには確かめなければならないことがあった。明智吾郎の存在だ。
いまは協力関係にあっても、それは探りを入れるための作戦だった。多分、向こうが敢えてこちらの懐に入ってきたのも理由は同じだろう。行動をともにするようになっても彼の接触は必要最低限だ。だから、勝手な想像ではあるのだが。
そう。俺も含め、仲間内でこれまで明智と個人的なやり取りをしている者は少ない。リーダーである暁は除くとしても。
……いや、正確にはただ一度だけ、明智の目が明確に俺個人に向けられたことがあった。文化祭に十眞を連れ立ってやってきたときだ。
俺と十眞の間に何某かの関係性があると知られたとき。あいつの態度からはこちらを試すかのような悪意が垣間見えた。
街のお祭り騒ぎは途切れる隙間がない。しかし無礼講とはいえ、交通機関を使いたいだけの者にはもう少し遠慮をするべきだ。通り抜けるのもやっとの雑踏を避けるため、少しでも人気(ひとけ)の少ない裏手の改札口へ向かう。
しかし期待した静けさはそこにはなく、騒ぎ立てる若者たちの声とは別種の騒音が混じりだす。辟易とした気持ちで目を向けるとそこには大きな車と数人のスーツ姿があった。
「ったく、よくやるぜ……。ハロウィンでただでさえうるせーってのに」
竜司が悪態をつく。どうやら俺と全く同じ気持ちらしい。
そこではマイクを手に、街頭演説中の人垣があった。ハロウィンと選挙期間の時期が重なるとは、なんという不運だろう。警備のためか周囲には警察官も立っている。俺たちは身体を固くした。なにせ指名手配中の身だ。傍目には駅前を歩く男子学生二人にしか見えないはずだが、意識してしまうのはどうしようもない。足早に通り過ぎようとしたとき、俺は目の端にあり得ざるものを見た。
記憶にある背だと思ったのだ。見知らぬ大人たちの中に、探していた男を見つけた。
「……十眞」
彼だ。あの背は。間違えようがない。
隣で竜司の気配がぎょっとして俺を見るのを感じながら、俺は縫い留められたようにその場に立ち尽くした。
これだけの人波と距離で、俺の声が彼まで聞こえたはずはない。しかしまるでそれが届いたようなタイミングで、見詰める背は向きを変えた。表情がやっと分かるかという距離。十眞の目が俺を捉える。伏せていた瞳が驚きで開かれた。
だが、そこからはいつもほどの感情を見て取ることはできない。
「行こう、早く」
「えっ。お、おう!」
竜司を急かしながら、俺は速やかに改札へと向かう。いつの間にか握りしめていた学生鞄の持ち手がひしゃげていくのが分かったが、動き出した足には迷いはなかった。
駅のホームでは車両がちょうど扉を開けて待っていた。乗客でいっぱいのそこへ少々強引に身体を詰め込んだところで、ようやく竜司が口を開ける。
「なあ、いまのってよ……」
彼も十眞の姿を見たようだ。何度か会っているため二人には面識がある。
ほとんど音もなく電車が発進して、はあ、と長い息を吐いた。……ここのところ自宅にさえろくに帰らずに忙しくしている彼の状況。そこにひとつの答えが示された。
「覚えがあんだよ。あの政治家」
もう見えなくなった渋谷のホームのほうを鋭く睨んで竜司が言う。俺はというと、やっと見つけた十眞に目を奪われるばかりで周囲にまで注意がいっていなかったので、彼の言葉でなんとか先ほどの光景を手繰る。
演説台に立っていたのは次期総裁候補の筆頭だと連日ニュースで目にする顔だった。日ごろ政治になど興味がないであろう竜司でも知っていたっておかしくはない。
「そういうんじゃなくてよ……、あーそっか。あのときはお前まだいなかったもんな。とにかく、いけ好かねえ奴だよ」
「『いけ好かねえ』……、」
ならばやはり、あの場では立ち去るのが一番だったのだろう。
あの一瞬、こちらに向けられた十眞の表情。強張った瞳からわずかに伝わったのは緊張と、怖れだった。そう理解してしまっては、それを無視してまで飛び出していこうなどとはとても思えなかったのだ。
「大丈夫だ」
まだ何か言いたげにしている竜司へ言葉を返す。
言いながらも、それは自分への鼓舞半分であった。
それからスマホが振動したのは日付が変わろうとするころだった。
仲間たちと別れて、狭い学生寮でひとり、このまま眠ってしまっていいものかと迷っていた頃合いだ。
素早く液晶を確認すれば、そこに表示されていたのは期待したものではなく、「非通知」の文字だった。いつもならそんな不審な電話に出ることはなかっただろう。だがこういうときの第六感には従うべきだ。そう考えに至るよりも先に俺は電話を取った。
『俺だ。悪い、その、時間がかかって』
通話の相手はやはり十眞だった。声を聞くのさえ数日振りで、どうしようもなく騒がしくなる胸の鼓動を抑えながら、俺は電波の先の声へ神経を集中させる。
時間帯の遅さを気にしてか、やっと向けられた彼の第一声は水くさい謝罪から始められた。しかしそんな体裁とは裏腹に、漏れ聞こえる息づかいからは安堵が感じられる。それだけで、何某かの無理を押して連絡を取ってくれたのだと直感するには十分だった。
『もっと早く連絡するべきだった。お前にはろくな説明も出来てないのに……』
彼の、電話口の悲痛そうな表情が目に浮かぶ。迷いはあるが血の通った言葉だ、と思った。
数時間前の雑踏の中で、俺は彼の瞳に恐れを見た。あの瞬間、彼は一体何を恐れたのだろう。十眞が負の感情を露わにするのは珍しい。
「あのとき、俺に『来るな』と願ったろう」
少なくとも彼の恐れを、俺はそう読み取った。珍しいこととはいえ、十眞の感情が表れる瞬間を俺は何度か見たことがあった。たとえば、俺が不摂生をしたり無理な節約をすれば彼は自分ごとのように怒ってみせたりする。そういうときの十眞の熱量は当人である俺でさえ驚くくらいだ。だから、あの一瞬身を固くさせた動揺も、こちらの身を案じてのものではないかと思ったのだ。
俺の立ち去った理由が十眞には分かりかねているようなので伝えると、電話口からはしばしの沈黙が流れた。やはり、顔が見えないというのはあんまり不便だ。
「違ったか?」
『いや、そうじゃない。助かった……正直すごく』
尋ねれば即座に答えが返ってくる。正直、それも、すごく、か。
彼の反応にここのところずっと鬱屈としていた気持ちが浮つく。それに、いま聞こえる十眞の声からは怯えは感じられない。それが分かれば他は些末なことだった。
「お前が俺を案じてくれているというのは分かる」
物分かりのいいことを言いながら、どうしても彼の境遇が気にかかってしまう。わざわざ非通知番号を使わなければならない状況は、やはり只事とは思えなかった。
ふと、以前に彼が盗聴の被害を受けていたことを思い出す。十眞を苛んでいたストーカーの一件。他でもない、俺が「改心」させた一件だった。
そうだ。事情があるというならこちらだって、イセカイにペルソナにと挙げればキリがない。未知は不安を生む。十眞が俺を信用できないとしても無理はなかった。
「……だが、俺も同じ気持ちというのは分かってくれ」
怪盗団での一切は仲間の安全に関わることなのでおいそれと開示はできない。ならばせめて、個人的な心の内くらいは偽りなく伝えておきたかった。
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